江戸東京博物館の浅草編(最終回)
2014年 04月 10日
江戸東京博物館も4回目ですが、今日は「浅草編」、そして今回で最終回となります。
1回目 お江戸日本橋~、七つ立ち~ ♪♪
2回目 懐かしの名車には、「てんとう虫」 という愛称がありました
3回目 江戸東京博物館のミニチュア模型
さて、東京ゾーンには、まだまだ面白い模型が沢山ありました。
明治から大正末期まで浅草にあった12階建ての塔です。雲を凌ぐほど高いということから「凌雲閣」と名づけられましたが、関東大震災で壊れてしまったそうです。
歴史を紐解くと、設計者はウィリアム・バルトン(イギリス人)、赤煉瓦構造で高さは52m。東京における高層建築の先駆けとして建てられました。
中にはエレベーターが設置され、10階から12階までの展望室からは、「関八州」が見渡せたというので、100年前のスカイツリーだったわけです。
石の建造物が大好きなので、こういうのを見るとワクワクします。
こちらは日本初の常設映画館で「電気館」。明治末期から昭和51年まで浅草にありました。
浅草電気館の成功をまねて、全国各地に常設映画館ができたのですが、その名前はどれも「電気館」。当時、日本の主要な街には、必ず1軒の電気館があったそうです。
明治時代はハイカラなモノの名前の頭に「電気」と付けて「ハイカラ感」を演出したそうですが、浅草の神谷バーに今でも伝わる伝説の「電気ブラン」も、その流れでしょうね。
「電気ブラン」と言ってもローカルな話題なので、殆どの方はご存じないと思いますが、明治15年生まれの浪漫の香り漂う、浅草を代表するカクテルです。
最後にタクシーです。タクシーは大正元年からあったのですが、運賃がわかりづらいという苦情が多く、市内を、一円均一で走る「円タク」が大阪で登場しました。
その後、東京でも「円タク」が普及したのですが、この1931年型フォード(多分)の、クラクションのラッパがフロントグリルの横に付いてるのが可愛いです。
当時の山手線の一区間が5銭、市電が4銭だったので、1円というのはかなり高価だったそうです。
興味がある方は、江戸東京博物館に、是非一度足を運んでみたらいかがでしょうか。
1回目 お江戸日本橋~、七つ立ち~ ♪♪
2回目 懐かしの名車には、「てんとう虫」 という愛称がありました
3回目 江戸東京博物館のミニチュア模型
さて、東京ゾーンには、まだまだ面白い模型が沢山ありました。
明治から大正末期まで浅草にあった12階建ての塔です。雲を凌ぐほど高いということから「凌雲閣」と名づけられましたが、関東大震災で壊れてしまったそうです。
歴史を紐解くと、設計者はウィリアム・バルトン(イギリス人)、赤煉瓦構造で高さは52m。東京における高層建築の先駆けとして建てられました。
中にはエレベーターが設置され、10階から12階までの展望室からは、「関八州」が見渡せたというので、100年前のスカイツリーだったわけです。
石の建造物が大好きなので、こういうのを見るとワクワクします。
こちらは日本初の常設映画館で「電気館」。明治末期から昭和51年まで浅草にありました。
浅草電気館の成功をまねて、全国各地に常設映画館ができたのですが、その名前はどれも「電気館」。当時、日本の主要な街には、必ず1軒の電気館があったそうです。
明治時代はハイカラなモノの名前の頭に「電気」と付けて「ハイカラ感」を演出したそうですが、浅草の神谷バーに今でも伝わる伝説の「電気ブラン」も、その流れでしょうね。
「電気ブラン」と言ってもローカルな話題なので、殆どの方はご存じないと思いますが、明治15年生まれの浪漫の香り漂う、浅草を代表するカクテルです。
最後にタクシーです。タクシーは大正元年からあったのですが、運賃がわかりづらいという苦情が多く、市内を、一円均一で走る「円タク」が大阪で登場しました。
その後、東京でも「円タク」が普及したのですが、この1931年型フォード(多分)の、クラクションのラッパがフロントグリルの横に付いてるのが可愛いです。
当時の山手線の一区間が5銭、市電が4銭だったので、1円というのはかなり高価だったそうです。
興味がある方は、江戸東京博物館に、是非一度足を運んでみたらいかがでしょうか。
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photodeparadaise at 2014-04-09 22:13
こんばんは。
凌雲閣は知りませんでした。
その当時、12階までエレベーターで昇った人は、
感激したでしょうね~
神谷バーで電気ブランを一度飲んでみたいのですが、
いつも外からお店の中をうかがうばかりで、
まだ実現していません。
凌雲閣は知りませんでした。
その当時、12階までエレベーターで昇った人は、
感激したでしょうね~
神谷バーで電気ブランを一度飲んでみたいのですが、
いつも外からお店の中をうかがうばかりで、
まだ実現していません。
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tabi-to-ryokou at 2014-04-09 23:32
YOKOさん、こんばんは
12階建ての赤煉瓦の建物が、大正時代の浅草に建っていたというのが、もう浪漫ですよね。
その当時だと、他に高い建物が無いし、空気がきれいだったし、関八州が見渡せたというのも頷けます。
神谷バーをご存じでしたか、是非一度、中に入ってみて下さい。大正時代のビアホールという雰囲気です。
でも電気ブランはアルコール度が高いので、僕でも3杯です。
え、え、「私なら、軽く5杯ね」とおっしゃってますか?? 負けます!!
12階建ての赤煉瓦の建物が、大正時代の浅草に建っていたというのが、もう浪漫ですよね。
その当時だと、他に高い建物が無いし、空気がきれいだったし、関八州が見渡せたというのも頷けます。
神谷バーをご存じでしたか、是非一度、中に入ってみて下さい。大正時代のビアホールという雰囲気です。
でも電気ブランはアルコール度が高いので、僕でも3杯です。
え、え、「私なら、軽く5杯ね」とおっしゃってますか?? 負けます!!
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kotorishu at 2014-04-10 09:08
お早うございます♪
当時12階で景色を眺めた人は嬉しかったでしょうね!
見たことのない世界が広がって、その後の人生変わる位の衝撃だったかも、ですね。
ハイカラなものに『電気』をつける・・・当時の最先端だったのですね 笑
当時12階で景色を眺めた人は嬉しかったでしょうね!
見たことのない世界が広がって、その後の人生変わる位の衝撃だったかも、ですね。
ハイカラなものに『電気』をつける・・・当時の最先端だったのですね 笑
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tabi-to-ryokou at 2014-04-10 10:23
kotorishuさん、おはようございます
高いところというと山に登るしかなかった時代に、浅草の盛り場にどーーんと12階建て、高さ52mですからね。
あ、あそこが俺の家だなんて眺めたんでしょうね。
スカイツリーでもあるらしいのですが、12階の展望室でプロポーズなんてあったかもしれません(笑)
電気はハイカラの象徴だったのですが、ここで一句、
* おれもかい 電気クラゲも ハイカラさん
お粗末でした!!!
高いところというと山に登るしかなかった時代に、浅草の盛り場にどーーんと12階建て、高さ52mですからね。
あ、あそこが俺の家だなんて眺めたんでしょうね。
スカイツリーでもあるらしいのですが、12階の展望室でプロポーズなんてあったかもしれません(笑)
電気はハイカラの象徴だったのですが、ここで一句、
* おれもかい 電気クラゲも ハイカラさん
お粗末でした!!!
by tabi-to-ryokou
| 2014-04-10 01:00
| 街撮り
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