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旅プラスの日記

趣味は旅と写真とサファリ。エキサイトブログは10年目になります。 世界遺産が好きで、合計200ヵ所以上の世界遺産を廻り、訪問した国は58ヵ国になりました。ブログの更新は毎日1回、ネタがあると2回。インスタグラムも毎日、癒しの動物写真・野鳥写真を投稿しています。気軽にお立ち寄り下さい。  https://www.instagram.com/tabi.plus/  ← インスタグラムのURLです。 


by 旅プラス

地中海を制した貿易大国の都の跡(世界遺産、カルタゴ遺跡)

チュニジアの世界遺産の1件目の訪問地は、チュニジアを訪れる観光客の誰もが見学するカルタゴ遺跡でした。

カルタゴ(新しい都市という意味)は、紀元前814年にフェニキア人が建設し、地中海貿易で繁栄したフェニキア人国家として発展しました。
貿易を独占したカルタゴは、前6世紀までに北アフリカ沿岸各地に都市を築き、イベリア半島の大半をその勢力圏内におきましたが、
紀元前146年にローマ軍に敗れ町は破壊されました。

カルタゴまでは、チュニスから10kmで、車で行くと約20分です。
そういえばチュニジア空港の正式名称は、チュニス・カルタゴ空港。首都チュニスは近代的な大都市で、カルタゴは古代遺跡の町ですが、
空港名にはしっかりとカルタゴの名が残ってました。

近年は、チュニスの郊外住宅地として開発が進み、大統領官邸や、役所、大使館、別荘が立ち並ぶ高級住宅地になっています。
港に漁船が戻って来ましたが、この日は不漁だったそうです。
地中海を制した貿易大国の都の跡(世界遺産、カルタゴ遺跡)_b0291402_05522358.jpg



昔は商業港と、軍港が配され、山の上に行くほど、当時の支配層が住んでました。写真はカルタゴ博物館にあった模型図です。

地中海を制した貿易大国の都の跡(世界遺産、カルタゴ遺跡)_b0291402_05523454.jpg



カルタゴはポエニ戦争に負けて、ローマ軍に破壊されましたが、その100年後にローマのアウグストゥス帝により、植民都市として再建されました。
紀元2世紀には「アフリカのローマ」と称されるほど発展しましたが、7世紀以降は再び衰退していきます。
カルタゴの遺跡というと、必ず登場するのが、ローマの5賢帝の1人、アントニヌス・ピウスが建設した共同浴場です。

地中海を制した貿易大国の都の跡(世界遺産、カルタゴ遺跡)_b0291402_05525096.jpg


当時の建物は2階建てで更衣室、温浴風呂、サウナ、水風呂、プール、噴水、談話室まであり、部屋数は100以上。
まさに「テルマエ・ロマエ」、 阿部寛の活躍する世界でした(笑)

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当時の天井の高さは30m、世界各地から運んだ大理石に囲まれ、当然ながら上下水道も完備されてました。

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ラ・マルガの貯水池は、カルタゴの水を支えるため132km離れたザクーアンから水道橋で、水が引かれていました。
右側はその貯水池跡です。

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そしてここがフェニキア人の中心地があったピュルサの丘です。
当時はこの丘を中心として、フェニキア人の住宅が集まっていました。

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近くのカルタゴ博物館には出土したローマ時代の、モザイクや、神々の像、生活用品や宝飾品が飾られてます。
神々の像は共同浴場で発掘したものですが、保存状態もよく、彫刻としても優れたものばかりでした。

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床のモザイクです。見た瞬間は感動しましたが、午後からバルドー博物館で数多くのモザイクを見学したので、感動も薄れてしまいました(笑)

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カルタゴは高級住宅地の中に、遺跡が点在してるので、自力で廻るよりは、現地のオプショナル・ツアーに参加したほうが楽でしょう。
午前中か、午後の半日あれば、ハイライトは、全部見て廻れます。
ちなみにカルタゴ遺跡は1979年に世界遺産に指定されました。



Commented by lapislazuli54 at 2015-11-19 17:55
可愛いパンダに続いてまたまた素敵なカルタゴですか、、
引き出しの多さに驚いてしまいますが、、、
そしてここにもテルマエロマエがあったんですね
どれだけの戦士が温泉で癒されたんでしょうね
壮大なロマンを感じる遺跡ですね
バルドー博物館のモザイクをみたあとでは確かに感動は
薄れますね もったいない、一日にひとつの見学にすればいい、、というわけには行きませんもんね。限られた日数の中では、、素晴らしいものが多すぎます
Commented by tatuotoko0406 at 2015-11-19 20:44
こんばんは。
江戸時代の玉川上水でも、どうやって?と思ってるのに紀元前にこちらで言えば、小田原より遠くから水を引っ張るとは…

どうやって思いを馳せるか!
酔って大したもんだ‼︎ と開き直るしかないっすね^^;
勾配の概念があるんだから、水平の概念は当然だろうから建築物の完成度もおして知るべし、でしょうねえ。

参った!
Commented by tabi-to-ryokou at 2015-11-19 21:58
lapisさん、こんばんは

引き出しは少ないのですが、専門ジャンルが無いので、なんでも撮りに出かけてます。
他には祭り、イベント、建造物、花、なんかも。
いつになったら、これぞという得意分野ができることやら。

この時代の戦さは数百人から数千人で戦いましたから、全員が風呂に入るとしたら大変だったでしょうね。
でもローマ時代はパン(食料)とサーカス(円形闘技場のショー)、それから風呂で民衆の心をつかんだので、
かなり大きな浴場だったと思います。

バルドー美術館のモザイクを見てしまうと、今後は世界のどの遺跡でモザイクを見ても、
きっと、感動は薄いと思います(^。^)
Commented by ayayay0003 at 2015-11-19 22:13
こんばんは^^
今日は、ボジョレ―の解禁日だったので
出遅れました~(^。^)
少し酔いがまわってます(笑)
カルタゴ、聞いたことがある名前です!(^^)!
て、高校生の時世界史を取ってたわりに記憶に乏しいです^^;
チュニジアの都市だったんですね!
共同浴場、素晴らしいですね~(@_@)
テルマエのシ~ンに出て来たような感じです♪
アントニウス帝の時にできたのですね!
当時は、凄く豪華だったのでしょうね!
今見ても素晴らしいですから~☆
共同浴場で発掘した神々の像は、ほんとローマにあるものと言ってもわからないほど、素晴らしいものですね!
床のモザイクも、バルドー博物館にあるものほどでないにしても素朴で素晴らしいものだと感じましたよ♫
カルタゴ遺跡、おそらく見には行けないのでありがとうございました(^^♪
Commented by mami-2013 at 2015-11-19 22:15
こんばんは。チュニジアの旅、楽しませていただいています。
バルドー博物館のモザイクといい
カルタゴ博物館の床のモザイクも紀元前のものとは思えないくらい
鮮明ですね。
床のモザイクは千年もその上を歩けば磨り減って
消えてしまいそうな気がしますが、どうして残っているのでしょう?
凄いですね~。
Commented by tabi-to-ryokou at 2015-11-19 22:20
オレさん、こんばんは

そうなんです、ローマ時代の水道橋は1kmで、高低差は30cmから35cmで建設されたそうです。
それにしても132kmもあると、余程高い山からの水でなければ難しかったでしょうね。

そういえば玉川上水も平たんな平野によくあれだけ長い上水を通しましたね。
日本も技術はそれなりに優れていたと思うのですが、木造建築は、いくら素晴らしくても火事で焼けるので
東大寺の1300年がやっと最高です。

カルタゴの遺跡も柱の「杭」はしっかり打ち込まれてたみたいですよ。
ただ、王朝が変わると、前王朝の建築物を壊して石を再利用したので、なかなか残らなかったようです。
Commented by tabi-to-ryokou at 2015-11-19 22:36
アリスさん、こんばんは

もしかして、今晩はグラス3杯に挑戦ですか。
今は、3杯くらいどうってことないじゃない~~、なんておっしゃってませんか(^。^)

世界史では、カルタゴ、フェニキア人、ポエニ戦争と無理やり暗記したような記憶があります。
そりゃあ、テストが終われば、誰も覚えてられませんよ(笑)

当時は高い大理石の柱が何本もあって、浴室の高さは30mありました。日本の銭湯もびっくりですね。
皇帝の偉大さを民衆に見せつけるために、豪華な建物、豪華な彫刻、豪華なモザイクにこだわったそうです。
ところが紀元7世紀以降は、ここは廃墟になってたので、それが幸いし保存状態が良いままで残りました。
Commented by tabi-to-ryokou at 2015-11-19 22:48
mamiさん、こんばんは

確かに保存状態がいいです。
完成後、2000年も経ってるわけですからね。
よく見たら、それ程靴ですり減ったような跡も無かったです。

多分ですが、お抱えのモザイク職人が、屋敷ごとにいて、すり減った石や、タイルの破片は
定期的に補修してたんじゃないでしょうか。
じゃないとここまでの奇麗なモザイクが残ってるのが不思議です。

お陰で、沢山のモザイクを鑑賞してきました。
北アフリカのチュニジアが持つ遺跡・遺産は、他の北アフリカの国と比較しても異彩を放ってました。
Commented by kaorunchoko at 2015-11-19 23:29
❤旅プラスさん こんばんは☆
カルタゴの遺跡素晴らしいですね!
2000年以上も前の遺跡がこうして残っているって言うのもビックリですけど、
何よりやっぱり共同浴場の規模ですよね~!
大江戸温泉も負けちゃう勢いですもんね。
共同浴場なんだから、温泉じゃないんでしょ。。。って事はお湯を沸かすんですよね。
遠い所から水を引き、それを沸かしてお風呂にして、下水も完備\(◎o◎)/!
考えると・・・やっぱスッゴイ事だと、感動です!!!
映画で噴水どうやってるって言ってたっけかなぁ???
テルマエもう一度見たくなっちゃいました(笑)
彫刻も素晴らしいけど、床のモザイクも美しいですよ~!
なるほど補修する職人さんがいたのかも知れませんね。
Commented by tabi-to-ryokou at 2015-11-20 07:57
kaorunさん、おはようございます

時の皇帝の名前を冠した公衆浴場なので、街中の銭湯のようなわけにもいかないんでしょうね。
大江戸温泉も負けますよ。だって共同浴場の近くには野外劇場や、円形闘技場も建設されて、
地域全体が一大娯楽センターみたいになってましたから。

そうそう、お湯は火で沸かします。ボイラーマンみたいな役割の奴隷が沢山いました。
彫刻も、モザイクも素晴らしいものばかりで、遠方から2泊3日で遊びにくる農民もいたらしいです。
きっと、昔の草津温泉みたいな感じですね(^。^)
Commented by umitosora14 at 2015-11-20 12:59
こんにちは^^
カルタゴ、知りませんでしたけど、素敵なところですね
まさに、テルマエの世界、当時の様子を見てみたいですね~
模型を見ても、なんて大きな規模でしょうね
ほんとに繁栄してたんですね
Commented by tabi-to-ryokou at 2015-11-20 15:17
umiさん、こんにちは

カルタゴというと、一番有名な将軍はハンニバルでした。
ローマとカルタゴとの第2次ポエニ戦争で、ハンニバルはスペインからピレネーを越え、さらにアルプスを越えて
イタリアに侵入したというから恐れ入ります。しかも9万の軍勢と、数十頭の象も連れて。

ローマとカルタゴは徹底的に争って、最後は第3次ポエニ戦争でローマが勝利し、ローマはカルタゴの町を
徹底的に破壊し、土地には塩を撒いて、農産物を育てられないようにしたといいます。
そんな因縁がありながら100年後には、ローマはカルタゴを殖民都市として再建し、
この共同浴場なんかも建造しました。今残ってる遺跡は、殆どが、このローマが支配した時代の遺跡ですが、
北アフリカで一番繁栄した都市だったようです。

あの模型図のような都市がそのまま残ってたら凄かったでしょうね。
今は百亜の高級住宅地の中にひっそりと遺跡が点在してました。
Commented by blue-lulubul at 2015-11-20 15:52
旅プラスさま、こんにちは。
👏ブラボ~! 系統立てた取材、本当に良くわかり、有難いです。
いまさらに、ローマの影響は凄いですね。
共同浴場の彫刻はほんとうに優れた造形ですね。
そして、「床のモザイクです。見た瞬間は感動しましたが、午後からバルドー博物館で数多くのモザイクを見学したので、感動も薄れてしまいました(笑)」← ほんとうによく分かります。この実感を逃さず記せる体力、知力に敬意を表します。私にこれが出来ればな~!と羨ましい限りですよ~☆
Commented by tabi-to-ryokou at 2015-11-20 21:10
blue-lulubulさん、こんばんは

ちょっと説明文が多くて、廻りくどいかなと心配してた日記なので、何人の方が最後まで読んでいただけたかと、
ちょっとばかり、気になってました。
blue-lulubulさんは、いつも文章の最後まで読んでいただけるので、貴重な存在です。

バルドー博物館のモザイクはそれだけ、完璧に素晴らしいんですよ。
ここを見学してしまうと、他の遺跡のモザイクはいくら見ても、感動しなくなるでしょう。

チュニジアのモザイクは、制作年代はバラバラだし、モザイク師の出身もバラバラ。
でも腕自慢の青年たちが全国から集まってきて、工房に弟子入りして腕を磨いたと思います。
結果として、博物館の中は「いい仕事してますね~」ばかりですよ。

体力はありますが、知力は乏しいです(笑)
日記は、そんな中で「えい、や~~」と書いてます(^。^)
by tabi-to-ryokou | 2015-11-19 16:00 | 世界遺産 | Comments(14)