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アドリア海の真珠といわれるドブロヴニク。そのホテルはトホホ!!!(2012年9月のウクライナ、ポーランド、クロアチア旅行)

2012年9月の旅行をお届けしています。
このシリーズはダラダラと続いてますが、過去の掲載は、

2015年10月8日 ウクライナの首都キエフ
2016年2月25日 ポーランドのワルシャワ
2016年3月 7日 ポーランドの古都クラクフ
2016年8月 5日 ポーランドの世界遺産カルヴァリア・ゼブジドフスカ
2016年8月23日 ポーランドの世界遺産ヴィエリチカ岩塩坑
2016年12月1日 この飛行機、本当に大丈夫なの??(ポーランドのクラクフからクロアチアのドゥブロヴニクに移動した日)

ドブロヴニクの城壁内に、たった2軒しかないというホテルのうちの1軒の予約を取ってます。地球の歩き方にも出てますが「スターリ・グラード」
6階建てで、8室しかないというので、素晴らしい豪華ホテルかと期待してましたが、6階建てで、エレベーターも無い細長いホテルで、勘違いでした(笑)
要するにホテルは上に高く、入口のある路地は狭く、ホテルの間口も狭く、ホテルの全景は撮りようがありません。
朝食はどうするのかというと、ダイニングルームが無いので、この路地で食べます。

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朝食メニューにはトースト、クロワッサン、ハム、ベーコンとかがあって、選ぶと作って持ってきてくれますが、通りが坂道なので、コーヒーを倒さぬように注意が必要。
そしてこの通りは地元の人も、観光客も通るので、皆さんが「おや、ハムとベーコン食べてるぜ」みたいに、私の食事を上から見ながら通り過ぎていきます(笑)
写真の左に見えるお花の横がホテルの入口です。私の部屋は5階で、狭い階段をスーツケースを運び上げるのに一苦労しました。
そしてPCをするためWIFIの繋がる1階ロビーまでの往復が、毎日の運動になりました。

ドブロヴニクの城壁上部は1940mの遊歩道となっていて、ぐるりと1周できます。
ここは3箇所ある入口のうちのピレ門の入口で、このあたりの城壁は高さが25m近くあります。

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城壁の上からは、ルジャ広場まで続く200mのプラツァ通りが眺められます。ホテル「スターリ・グラード」は二つ目の通りを左に入った2軒目です。


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城壁の遊歩道は左回りの一方通行です。最も景色がいい遊歩道を三つ挙げるとすれば迷わず、ドブロヴニクの城壁、カルカッソンヌの城壁(フランス)、
チンクエテッレの散歩道(イタリア)を挙げるでしょう。

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城壁内には教会、修道院、宮殿、学校、一般の民家があり、洗濯物も目にします。

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しばらく歩くと海側の城壁です。訪れたのは9月の中旬でしたが、海で泳いでいる人が見えます。

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ヨットハーバーまでやってきました。上は城壁の上を散歩する人達、下は城壁の外を散歩する人達です。

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城壁は高くなったり、低くなったりと、勾配がきついところもありますが、高くなった場所からの眺めは抜群です。

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途中にトイレ、カフェ、売店がありますが、遊歩道の途中で景色を眺めながら休憩する人も大勢見かけました。

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山側まで来ると、スルジ山ロープウェイが民家の上を降りてくるのが見えました。

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そして城壁の遊歩道での一番の絶景がここだと思います。 アドリア海の青と、瓦屋根のオレンジの対比は最高の美しさでした。

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クロアチアの最南端に位置するドブロヴニクは、7世紀初めに築かれて以来、海上交易の拠点として発展し、ヴェネツィア、ハンガリー、オスマン帝国と宗主国を
変えながらも自治を守ってきました。
19世紀初めにフランス軍に征服され、共和制に終止符が打たれましたが、特異な歴史と美しいたたずまいは「アドリア海の真珠」と称えられます。
8世紀に建設が始まった城壁は、市域の拡大とともに16世紀まで拡張を続け、今では素敵な散歩道となってました。
次回は、城壁から下りて街中を散歩します。



by tabi-to-ryokou | 2017-01-25 16:00 | 世界遺産 | Trackback | Comments(20)

この飛行機、本当に大丈夫なの??(ポーランドのクラクフからクロアチアのドゥブロヴニクに移動した日)

日記のネタが乏しくなってきたので、エキサイトブログ始める前の、2012年9月の旅行をお届けします。
このシリーズはダラダラと続いてますが、過去の掲載は、

2015年10月8日 ウクライナの首都キエフ
2016年2月25日 ポーランドのワルシャワ
2016年3月 7日 ポーランドの古都クラクフ
2016年8月 5日 ポーランドの世界遺産カルヴァリア・ゼブジドフスカ
2016年8月23日 ポーランドの世界遺産ヴィエリチカ岩塩坑

をお届けしましたが、いよいよポーランドからクロアチアに移動します。

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2012年9月11日の日記です。ポーランドからクロアチアへの直行便が無いので、ドイツのミュンヘン経由で移動しました。

最初はポーランドのクラクフ空港から、ドイツのミュンヘン空港まで。
搭乗待合室から飛行機に向かうと、「え、まさか~!!」
搭乗するのは、ルフトハンザ航空の1621便のはず。
こんなちっこい飛行機かい(笑)

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プロペラの羽が6枚、これで50人以上の乗客を乗せて空を飛ぶのだから心配にもなります。

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予約便名、登場手続きの全てがルフトハンザでしたが、機体には「Operated by Augsburg Airways」という小さな文字が。
私の前職は航空会社ですが、全く聞いたことがない名前です。
パイロットの顔を見てみようと前に廻りましたが、コックピットの中は暗くて見えず、これは運を天に任せるしかないと諦めました。

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座席は「6A」で、真横ではプロペラがブルンブルンと唸りをあげています。大丈夫かな。

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でもウツラウツラと寝てるうちに、気が付いたらミュンヘン空港に到着してました。
まずは、無事を祝い、寿司&ワインで乾杯。それにしても海外の空港は、最近美味しそうな寿司を売ってますね。
値段は忘れましたが、そんなに高くはなかったです。

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乗継は同じくルフトハンザ航空ですが、今度はジェット機。左側の窓側をリクエストしました。
ミュンヘンからクロアチアのドゥブロヴニクに向かう機内から撮った世界遺産のドゥブロヴニクです。
海の上を通ってくれれば着陸直前に旧市街が見えるはずと予想してましたが、運よく城壁内の旧市街が撮れました。

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バスで旧市街に到着しました。城壁入口のピレ門に立つ衛兵さん。衛兵さんがいるのですが真っ暗でよく見えません(笑)

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ここは城壁内です。これから賑やかになりそうな、メインストリートのプラツァ通り。夕方の7時頃です。
私のホテルは城壁内には2軒しかないというホテルのうちの1軒なので、朝から夜までこの通りを行ったり来たりすることになります。

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次回は、この翌日からの日記。もっと明るいドゥブロヴニクを紹介します。



by tabi-to-ryokou | 2016-12-01 16:00 | 世界遺産 | Trackback | Comments(18)

ポーランドの世界遺産(地下深くに広がる塩でできた芸術の世界、ヴィエリチカ岩塩坑)

本日は2012年9月10日に訪問したポーランドの世界遺産をお届けします。

ポーランド第2の都市クラクフから南東へ15kmのヴィエリチカ岩塩抗は、10世紀末には採掘を始めていたという世界最古の岩塩鉱山。
クラクフから列車で15分、駅からは徒歩5分の距離ですが、深さ300m、坑道の総延長300kmという坑道は個人では見学できず、
見学コースに従ってガイドと歩くらしいので、クラクフから出発する半日のバスツアーに参加しました。

この建物の中に坑道に下りる階段があります。
洒落た建物ですが、中はお土産物のショップで、屋根の上の塔のように見えるのは、坑道へのリフトを昇降させる装置です。

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本格的な採掘は14~16世紀で、産出する岩塩がポーランド王の財源の3分の1を占めていたそうです。
377段もの木製の階段をようやく降りると坑道が目の前に現れます。

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観光客に公開されているのは採掘場のごく一部である2.5kmですが、採掘跡の空間には岩塩で作られた数々の彫像が並べられています。
王様の像。

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本物かと間違えそうになった採掘工の像。

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見学コースは階段も多く、暗いのでガイドさんにぴったりと付いてないと、迷子になりそうです。

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「最後の晩餐」のレリーフですが、勿論、これも岩塩です。

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岩塩の採掘は現在も続けられていますが、バレーボールやバスケットボールができる運動場や、巨大な礼拝堂までが設けられていました。
この眺めが、ヴィエリチカ岩塩抗のハイライトです。

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全てが岩塩でできた「キンガ姫の礼拝堂」です。

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天井からは華麗なシャンデリアが下がっていますが、これも塩の結晶で作られています。

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礼拝堂の祭壇です。
床も祭壇も岩塩でできてますが、地上の礼拝堂の祭壇に負けないくらい、立派な祭壇でした。

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地下にあるお土産物屋さんですが、塩の製品ばかりでした。

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そしてレストランにカフェ。ここにはなんでも揃っています。

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地上に上がる時はリフトでした。
それでもかなり長い距離を歩き、階段も多いので滑らない靴と、気温が14度でも寒くないような、上着が必要です。

この半日バスツアーは英語のガイドで、集合は9時、解散が13時、ツアー料金は33ユーロでした。

ちなみにヴィエリチカ岩塩抗は1978年に世界遺産に指定されましたが、
日本の「石見銀山」よりは、はるかにスケールが大きな世界遺産でした。


by tabi-to-ryokou | 2016-08-23 16:00 | 世界遺産 | Trackback | Comments(8)

衝撃の写真、634mまであと僅か、559mまで背が伸びた黄金のスカイツリー

2011年1月22日、土曜日、晴れ。
(お間違いなく5年と7ヵ月前に撮影したスカイツリーです)

本日のスカイツリーの高さは559m。完成の高さまで残り75mとなりゲイン塔のてっぺんも見えてます。
(当時は月に2回も3回もスカイツリーを撮りに出かけてました)

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時刻は15時40分頃、ナ、ナ、何だこれは~~!!!!
左端と右端にダブルでスカイツリー、しかも工事中!!
(この日、初めてアサヒビールのビルに映る輝くスカイツリーを発見しました)

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そして接近して撮った衝撃の写真は黄金のスカイツリー。

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西日を浴びた工事中の黄金の塔を見て、ブリューゲルの「バベルの塔」を思い出しました。
(今はここからの眺めは浅草の観光名所となり、人力車に乗ると、必ず案内してくれます)
(過去のスカイツリーの日記はタグ「スカイツリー」で検索できます)


by tabi-to-ryokou | 2016-08-17 16:00 | 散歩 | Trackback(1) | Comments(22)

ポーランドの世界遺産(国内外から訪れる巡礼者が後を絶たないカトリックの巡礼地、カルヴァリア・ゼブジドフスカ)

本日は2012年9月に訪問したポーランドの世界遺産「カルヴァリア・ゼブジドフスカ」をお届けします。

カルヴァリア・ゼブジドフスカは、クラクフ本駅の北東側にあるバス・ターミナルから「Wadwise Andry & Oacute」行きのバスで、約40分です。
1時間に1本前後の運行ですが、バス・ターミナルに発着するバスが多いことと、案内表示が乏しくて、ポーランド語の文字標識しかないことから、
早めに行って、バスを見つけることをお勧めします。
あと乗ってしまってからも、降りる停留所を間違えぬよう、ノートに「Kalwaria Zebrzydowska」と大きく書いて、地元の乗客に見てもらい、
全員にこの日本人が「Kalwaria Zebrzydowska」で降りると知ってもらったほうがいいでしょう(笑)
そもそも「Zebrzydowska」は、日本人には発音さえできません。そしてバスの中で恥ずかしがってたら、目的のバス停を乗り過ごし、どこまで連れてかれるかもわかりません。


緊張しましたが、老若男女の乗客全員から「あんたここで降りろ」と指示をされ、皆さんから笑顔の「バイバイ」で盛大に見送られて、静かな世界遺産の街に降り立ちました。
バス停からは、遠くの丘の上にキリスト教徒の巡礼地である聖母聖堂が見えるので、ここからは間違える心配はありません。
途中で、両親の車を待っているらしい可愛い姉妹がいたので、写真を撮りました。
ウクライナも、ポーランドも、可愛いお子さんが多いです。

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土地の豪族が、この丘をゴルゴタの丘に見立てて、聖堂を建立し、エルサレムの景観を再現しながら聖堂や礼拝堂、十字架像、路傍の祭壇などを建設し、
現在はさらに整備されて巡礼公園となりました。

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バス停からは平らな道が10分あり、さらに急こう配の上り坂が10分あって、お土産物やさんが見えてきたら、そろそろ聖母聖堂に到着です。
途中の急こう配の坂道では、息があがりました。

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17世紀初めに建てられた聖母聖堂の外観です。
聖・金曜日には10万人もの人が集まり祈りを捧げるそうです。

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巡礼公園は総面積4k㎡に及び、毎年イースターになると、キリスト受難と聖母被昇天の宗教劇の上演など、さまざまな行事も行われるそうです。
周辺の景観も世界遺産に指定されたので、この写真の景色も世界遺産の景観ということになります。

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訪問した日は、日曜日の午後でミサが行われていました。
どうしても聖堂内の祭壇を見たかったので、ここで待ちます。

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やはり両親を待ってるのでしょうか、兄と妹が風船で遊んでました。のどかな日曜日です。

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ミサが終わり内部に入ることができました。
息をのむほどの素晴らしい光景でした。

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祭壇は曲線を多用したマニエリスム様式ですが、その豪華な装飾は、10万人が集うカトリックの聖地として、黄金色に輝いていました。

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聖母聖堂を見て、息を切らせながら上った坂道も帰りは楽に下り、同じバスに乗ってクラクフに戻りました。
巡礼路を全部回ると6kmあり、一日は必要ですが、写真の聖母聖堂の見学だけならクラクフから半日をみておけばいいでしょう。
とても長い名称ですがカルヴァリア・ゼブジドフスカの「マニエリスム様式の建築と公園の景観複合体と巡礼公園」は1999年に世界遺産に指定されました。

(注記)この時の旅行は、9月6日に成田空港を出発して、フランクフルトからウクライナのキエフに廻り、9月8日の早朝にポーランドのワルシャワに入りました。
ウクライナのキエフに宿泊したのは僅か2泊でしたが、今は紛争で訪問も難しくなったキエフも当時は、平和で安全な街でした。
9月8日はワルシャワを観光して、ポーランド第2の都市、クラクフにやってきたのが9月9日の早朝。当時は仕事も忙しかったので、かなりハードな日程でした。



by tabi-to-ryokou | 2016-08-05 16:00 | 世界遺産 | Trackback | Comments(8)

ワルシャワをポーランドの東京と例えれば、ポーランドの京都は古都クラクフです

世界遺産シリーズは2012年9月に訪問したポーランドのクラクフです。

11世紀から17世紀まで、ポーランドの首都として栄え、当時はウィーン、プラハと並ぶ中欧文化の中心地であったクラクフ。
ワルシャワから列車で向かいました。ワルシャワ駅7時53分発、クラクフ駅10時48分着で、約3時間。
1等車の158.5PLNは、日本円で約3,600円。日本の新幹線のグリーン車よりは、はるかに安い料金でした。

ワルシャワと違い、クラクフが戦災を免れたのは、ここにドイツ軍の司令部が置かれていたからで、街全体が中世のたたずまいを残しています。

クラクフ駅からすぐ近くの旧市街の北の門は、1300年に建造されたフロリアンスカ門。重さでちょっと傾いてます。

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これを防御する円形の砦は1498年に造られたバルバカン。
城壁の殆どが19世紀に取り壊されたため、実際に残っているのはこの辺りだけでした。

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ここから旧市街の中心、中央広場に進む通りがフロリアンスカ通り。
クラクフで一番賑やかな通りですが、しばらく進むと通りの正面に聖マリア教会が見えてきます。

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通りにはブティックが並び、お洒落なお嬢さんが闊歩し、馬車が走って、ウィーン、プラハと似た西欧のリゾート都市という雰囲気です。

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中央広場に面する聖マリア教会は1222年に建てられたゴシック様式の教会で、これほど美しい祭壇やステンドグラス、装飾品を持った教会が
クラクフに現存していることは驚きでした。

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正面の祭壇はファイト・シュトースにより15世紀に造られた木彫で、ルネサンス彫刻の最高傑作です。
(申し訳ありません、ピントがイマイチでした)

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天井があまりに美しいので、写真に撮りましたが、この模様はイスラムのモザイク画の影響を感じました。

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入口後方の装飾です。
殆どの人が正面を見て、後方を見て、祭壇を見て、天井を見て、ため息をもらし、驚きの表情を浮かべていました。

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この教会で遅くなってしまい、本日の観光は終わりとしました。
夜景ですが、右が聖マリア教会、左は広場の真ん中に建つルネサンス様式の織物会館です。

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織物会館の1階はみやげ物街になっており、民芸品、アクセサリー、刺繍を求める観光客で賑わってました。

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写真は翌日になりますが、1886年創業のグランド・ホテルです。
宿泊したのはこのホテルですが、ホールも、廊下も、家具も、全てがアンティークな、老舗ホテルでした。

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午前中は世界遺産、ヴィエリチカ岩塩坑を見学し、午後から再びクラクフの散策です。

聖マリア教会の前では、お客さんを待つ馬車が勢揃い。
この日は暑い日だったので、馬車で街を廻るお客さんはいないようでした。
お客さんが来なくて芸者さんが暇なことを「お茶を引く」と言いますが、御者は馬車を引かずにお茶を引いてました。

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クラクフ最後の訪問地はヴァベル大聖堂です。
14世紀から18世紀までのポーランド国王の戴冠式はここで行われました。
右側の金のドームはジグムンド・チャペル、そして後方のジグムンドの塔はどちらもルネサンス期の傑作です。

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ヴァベル城からヴィスワ川を望む景色です。
河畔の通りでは市民が夕方の散歩を楽しんでいました。

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クラクフ歴史地区はそう広い範囲ではないので、半日で歩けますが、聖マリア教会やヴァベル大聖堂はじっくり見ることをお薦めしたいので、少なくとも1日、
できれば2日は予定されたほうがいいでしょう。

ちなみにクラクフ歴史地区は1978年に世界遺産に指定されました。



by tabi-to-ryokou | 2016-03-07 16:00 | 世界遺産 | Trackback | Comments(10)

戦争で壊滅したのちに市民の力で復活したポーランドの首都ワルシャワは、ワルシャワ歴史地区として世界遺産に指定されています。

日記のネタが乏しくなって来たので、本日は2012年9月8日に訪問したポーランドの首都ワルシャワをお届けします。

日本を出発後、ウクライナのキエフに2泊して(紛争が起こる前でした)、9月8日の早朝にワルシャワに到着しました。
朝の10時頃でしたがホテルがチェックインさせてくれたので、部屋に荷物を置いて1日中ワルシャワの街を歩きました。
写真を14枚選び、ワルシャワのハイライトをこの日記にまとめましたので、ご覧ください。

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9~10世紀に建国されたと言われるポーランド王国は、1611年に首都をクラクフからワルシャワに移しました。

「北のパリ」とたたえられたワルシャワも、その地理的な立地条件から近隣諸国の侵略や支配を受け、破壊と再生を繰り返すことになります。

1944年にナチス・ドイツにより街は徹底的に破壊されましたが、人々は街の図面・風景画・写真などを参考にして18世紀後半の街の姿を忠実に再現しました。

そのとき復元されたヴィスワ川左岸の旧市街と新市街が歴史地区として世界遺産に指定されています。


最初はワルシャワ中央駅の東側です。
ワルシャワ市の紋章である人魚像の背景に、37階建て、高さ234mの文化科学宮殿がそびえ建ちます。

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地上30階、高さ124mの回廊までエレベーターで簡単に昇れます。
回廊からの景色ですが、建物が少ないので、街は広々とした印象を受けます。
右に見えるガラス張りの高層ビルは、アーリーチェックインをさせてくれたサービス最高のマリオット・ホテルです。

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サスキ公園には無名戦士の墓があり、毎時0分には衛兵交代の儀式が行われます。

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衛兵を見ていたら、後方から銃を持った軍人が行進してきました。
映画の1シーンみたいな光景ですが、これが現在のポーランドでしょうか。
軍人達は遠くに立ち去り、何の行進だったのかは結局分かりませんでした。

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クラクフ郊外通りをしばらく歩くと王宮広場です。
中央左側に立つ柱が、ワルシャワに遷都をしたジグムント3世の碑です。
広場では風船を売っていました。

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ジグムント3世の居城で「ヨーロッパで最も美しい宮殿のひとつ」といわれた王宮ですが、現在は博物館として使用されています。
赤い建物が多いのは、ロシアのモスクワとも似ています。

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旧市街を守るために造られた赤レンガの城壁です。
円形の砦はバルバカンと呼ばれ、ヨーロッパに3カ所しか残ってないそうです。

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ワルシャワ旧市街の中心がこの旧市街広場で、カフェや、レストラン、民芸品屋が並びます。

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そしてここにも左手に盾、右手に剣を持った人魚像が。

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再びクラクフ郊外通りを戻ると、ワルシャワ出身で、地動説を唱えたコペルニクスの像がありました。

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ポーランドでは他にもキューリー夫人、ショパンが有名ですが、ここはショパンにゆかりが深い聖十字架教会です。
ちょうど結婚式をやってました。

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クラクフ郊外通りから、新世界通りと名前が変わるあたりは整然とした街並みに、カフェやレストランが並びます。

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そしてショパン博物館。
ショパンが最後に使ったプレイエル社製のピアノや関係資料が所蔵されていますが、1時間に70人という人数制限があるらしく、予約もしてなかったので
入館もせずにホテルに戻りました。

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ホテルの部屋からの夕景です。
明るい建物が周囲に無いので、あっという間に街全体が暗くなってしまいました。

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歴史地区は、どこも徒歩で歩ける範囲にあり、一日あれば見て回れます。
ちなみにワルシャワ歴史地区は1980年に世界遺産に指定されました。



by tabi-to-ryokou | 2016-02-25 16:00 | 世界遺産 | Trackback | Comments(6)

ウクライナの世界遺産(首都キエフに今も残るキエフ大公国の建造物群)

エキサイト・ブログを始める前の時期ですが、2012年9月の旅行日記を、すこしずつお届けします。
この時の旅行は、ウクライナ、ポーランド、クロアチア、「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」、モンテネグロと5ヵ国を廻りました。
ウクライナは旅行後に紛争が起き、2014年3月にクリミアがロシアに編入されることになりました。
その2014年2月に、エキサイト・ブログ上でも、ウクライナを取り上げたのですが、だいぶ前のことなので、あらためて日記にまとめました。


2012年9月6日です。

昨夜のフランクフルトからキエフへのルフトハンザ便は、キエフ空港への到着は深夜の1時30分。

* 深夜着 外はクライナ ウクライナ

しかも雨が降っていた

* キエフ雨 見通しクライナ ウクライナ


なんて川柳をひねってるような気楽な場合では無く、ユーロしか持ってないのに、空港の銀行はとっくに閉まっていて両替ができません。

早速タクシーと交渉。何かあったらまずいので、タクシーを選べる時には、自分よりも弱そうな運転手のタクシーを選ぶことにしてます(笑)

意外とあっさり交渉成立し、支払いは25ユーロで決まりました。
空港から市内までは40分なので、2,500円(当時は1ユーロ:100円でした)ならむしろ安い。

高速道路は片側4車線でよかったけど、途中から細くて暗い道になり、ちょっとばかり心細くなってきた頃に、無事ホテルに到着しました。

ネットをチェックして就寝は3時30分、朝まで3時間の睡眠。
起床は朝6時30分。
ブッフェは西欧の豪華ホテルのブッフェに負けないくらい豪華でした。

しかもピアニストが朝7時なのに名曲を奏でてくれて、とてもいい感じ。まるでリゾート・ホテルの朝みたいでした。

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キエフは黒海に注ぐ大河ドニエプル川の中流に位置し、6世紀の頃からビザンティンとヨーロッパの交流で発展し、9世紀にはキエフ大公国が誕生しました。

ギリシャ正教を国教化し、公国は最盛期を迎えますが、その後、モンゴル、リトアニア、ポーランド、ロシア帝国の統治を受け、1991年のソ連崩壊にともない独立しました。

世界遺産の大修道院と大聖堂は、独立広場に近いホテルに泊まれば、一日で歩いて廻れます。

さて、朝食を終え、ホテルからブラブラ歩くこと1時間、公園の木立の中からペチェールスカ大修道院が見えてきました。
このタマネギ型のドーム、これぞ元ソヴィエト連邦の構成国です。

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1051年、ギリシャのアトス山からきた修道士達がこの地の「ペチェル(洞窟)」で始めた修道生活を起源とし、東スラブで最も長い歴史を持つ修道院です。

その入口の門に、17世紀に建てられたのが全聖者教会。金ぴかのドームが目立ちます。

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修道院全体の入場料は250円なのですが、写真を撮る許可はさらに500円が必要です。天井のフレスコ画が見事なので、500円を払い許可証を手に入れました。

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修道院の施設で一番大きな聖堂がウズベンスキー大聖堂です。

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内部には黄金の輝きが眩しい祭壇がありました。
この裏がどうなってるのか、覗こうとしましたが、隙間が狭くて無理でした(笑)

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次に訪れたのが聖三位一体教会。

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この教会は12世紀に建てられたもので、壁面を埋め尽くすフレスコ画と木製のイコノスタスが見事です。

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内部が狭いので、全体像が撮れないのですが、天井を見上げるとバロック風の装飾が、きらびやかでした。

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ここまでがペチェールスカ大修道院で、午後からもう一つの世界遺産ソフィア大聖堂に向かいました。
独立広場に戻り10分程、坂を登ると大聖堂の屋根が見えてきます。

写真はソフィア広場からの眺めですが、左が鐘楼、奥がソフィア大聖堂です。

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鐘楼は76mの高さで、明るいうちに登ってみました。
ここがキエフの中心街です。車も沢山走ってます。
そして大通りの奥のほうに見えるのは聖ミハイル黄金ドーム修道院。

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真下に見えるのがソフィア大聖堂。
現存するキエフ最古の教会で、1037年に建てられました。
でも上から眺めると、オモチャの模型にしか見えません。

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キエフを象徴する建造物で、18世紀にバロック様式に改築されましたが、
内部空間は創建時のビザンティン様式のままで、黄金色に輝くモザイクの装飾は素晴らしいものでしたが、ここだけは撮影禁止でした。

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二つの世界遺産の見学を終える頃には、夕方になりました。
キエフは道路も広く、広場も多くて、街の中心の独立広場は、夕方になると人が集まってきます。

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くたくたになって、ホテルに戻り、この日記を書いていたら窓の外で突然花火が!!
三脚を立てている時間は無さそうなので、カメラをしっかり抱えて手撮り。ちょっとだけ撮れました。
左下の建物は同じホテルの反対側の棟です。

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気温は日中が24度、18時頃は19度、
ホテルの戻りが18時、万歩計は24,629歩、撮った写真は144枚でした。

実はキエフは、ポーランド、クロアチア旅行のスケジュールに、無理矢理押し込んだので、宿泊は2泊。市内を見て廻ったのは1日だけでした。
明日は朝早く、ポーランドのワルシャワに向かいます。



by tabi-to-ryokou | 2015-10-08 16:00 | 世界遺産 | Trackback | Comments(12)

東京スカイツリーが、東京タワーを抜き去った歴史的な日々

本日は、撮り溜めためていた写真の中から「東京スカイツリー」を、少しだけ披露させていただきます。
いえ、実は日記のネタ切れ(笑)、・・・・で、困った時はスカイツリー(^。^)

12日の土曜日からは5連休で、5日間の行き先もリストアップしたので、東奔西走取材してまいります。

さて、2010年は「mixi」というSNSに、細々と投稿していました。
読者は家族と親友だけの不定期発行。
その頃の1番の取材ネタが、日々成長するスカイツリーでした。
でも今となって「mixi」をみると、5年前の春がどんな日々だったのか、懐かしく思い出されます。


2010年3月28日、日曜日、寒いけど晴れ

東京スカイツリーの本日の高さは328mでした。


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明日の月曜日には長さ約10mの鉄骨がタワークレーンで積み上げられ、338mになります。

何故、それが大事かというと、1958年から「日本一高い建造物」の称号を守ってきた333mの東京タワーが
52年ぶりにその称号を返上するからです。


思えば1年前、2009年の4月19日に東武橋から撮った写真がこれです。
まだタワーらしき形もなく、延々と基礎工事が続いてました。


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それが約1年で、ここまで成長しました。
もう東武橋からではカメラのフレームに入りきりません。


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真下から見上げるとこの角度、結構、迫力あります。

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隅田川の桜もところどころ、花が咲き始めており、4月1日から3日が見頃と思われます。


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2010年4月3日、土曜日、晴れ

ついにスカイツリーが東京タワーを抜きました。
本日の高さは338mです。

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この日は隅田川の桜も満開になり、スカイツリーを祝福するようでした。

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工事は着々と進み、クレーンが次々と鉄骨を引き上げています。

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日本一の高さを誇る建造物の1位と2位が入れ替わった日。
興奮してたのは私だけかもしれませんが、この時期はよくスカイツリーに通ってました。
当時はこの338mにびっくりしていて、ここからさらに300mも高くなるのは知ってましたが、イメージもできませんでした。
写真が下手糞なのはご愛嬌ですが、5年5ヶ月前のスカイツリーはこんな状況でした。



by tabi-to-ryokou | 2015-09-17 16:00 | 建造物 | Trackback | Comments(20)

世界遺産(ポルトガルの旅、大航海時代の栄光、ジェロニモス修道院とベレンの塔)

本日の日記はポルトガルの首都リスボンです。
訪問したのは2012年の1月。
写真を掲載したジェロニモス修道院とベレンの塔は1983年に世界遺産に指定されています。


15世紀に始まった大航海時代の先陣を切ったのはポルトガルでした。

ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路の開拓によりポルトガルはヨーロッパ最大の貿易国に発展し、マヌエル1世はエンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業をたたえて、
ジェロニモス修道院とベレンの塔を建造しました。

カイス・ド・ソドレ駅から市電15番に乗りベレンの塔にやってきました。
16世紀初めに船の出入りを監視する要塞として建てられた塔ですが、司馬遼太郎氏はこの美しい姿を「テージョ川の公女」と呼んだそうです。

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ジェロニモス修道院はベレンの塔から歩ける距離にありますが、閉館時間が迫っていたので、やはり市電15番に乗りました。
手前が16世紀に建造された東棟、奥が19世紀に付け加えられた西棟です。

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レース細工のように繊細な彫刻で飾られた南門から、見学者は入場し7ユーロを払って内部を見学します。

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礼拝堂は広くて、豊かな装飾を特徴とするマヌエル様式で金色に飾られています。

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聖堂内部のステンドグラスと、その周囲の壁の彫刻も見事で、何故か、厳粛な気分になってしまいます。

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この修道院の見どころは55m四方の2階建の回廊で、彫刻装飾が一面に施されており、マヌエル様式の最高傑作といわれています。
閉館近かったのですが、写真を撮ってる女性が、この回廊に溶け込んでいました。

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ジェロニモス修道院から歩いて行ける「発見のモニュメント」です。
1960年の建造で、世界遺産ではありませんが、ポルトガルが海外ニュースで紹介される時には、このモニュメントがよく登場します。
下で少女が写真を撮ってますが、高さは52mもあります。

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あたりも暗くなり、ホテルに引き上げました。帰りも15番の市電です。

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このベレン地区は大西洋の河口から僅か12kmのテージョ川沿いにありますが、大航海時代の繁栄と栄光を今に伝える富の象徴のような地区でした。




by tabi-to-ryokou | 2015-09-11 16:00 | 世界遺産 | Trackback | Comments(15)