湖に沈む運命から、ユネスコ救済事業で蘇ったアブシンベル神殿
2019年 04月 04日
アブシンベル神殿を訪問したのは3月3日。ホテルで書いた3月4日の日記、外観と列柱を掲載した3月23日の日記に続き、
今回はその内部に彫られたレリーフを中心にお届けします。
戦士ラムセスⅡ世。
戦車に乗るラムセスⅡ世。
内部はラムセスⅡ世のレリーフばかりです。
レリーフは壁面の高い位置にも彫られており、次の部屋に続きます。
どの部屋もレリーフで埋め尽くされてるので、どこで、何を撮ればよいのやら。
想像ですが、貢物が届けられ・・・・
ワインを飲んでます。ワインの歴史は古代ローマ帝国のカエサルの時代からだと思ってましたが、
エジプトではもっと古くから飲まれていたんですね。
今度は正面奥の部屋に向かいます。眩いばかりのレリーフが、どれも撮り放題。
奥の部屋はレリーフというよりも、浮彫のような像。ラムセスⅡ世と、妻ネフェルタリでしょうか。
左のアラブのおじさん、なんだろうと思ったら、ただの観光客でした。
列柱室に戻りました。入り口からの光が届いています。奥には見学者が1人。
天井には、こんな絵が描かれてました。
この神殿は年に2回、その正面の入り口から奥まで、日の光が届くそうです。
名残り惜しいのですが、大神殿を後にして、小神殿に向かいました。
アブシンベル神殿が、3,300年間も完全に残っていたのは、1800年代にその出入り口が発見されるまで砂に埋もれていたから。
ダム建設で湖の底に沈みそうになりながらも、ユネスコの救済事業により丁寧に移築され、現在も残っているのは奇跡に近いです。
ラムセスⅡ世は、身長180cm、100人以上の子供をもうけ、90歳まで生きたというファラオ。
なんとも羨ましい絶倫ファラオですが(笑)、ラムセスⅡ世の執念でしょうか。今もなお、神殿はナセル湖を静かに見下しています。
なんともすごい、、建物も、王様の話も、、
ものすごい人物だったんですねぇ、、、、、
この王様のミイラも、あるんですよね?どこかに、、
10年ほど前に警官に守られ信号はフリーパスでキャラバン隊で行った時 ネフェルタニ王妃は恐妻家だったという話を聞いたのが印象に残っています。
そうですよね 子供を104人も作った相手は何人か考えると。
どれを撮っても絵になりますね。
お昔の歴史が今に語るものはいっぱいですね。
バグースです。
考古学者でなくても宝物ですね。
本当に湖に沈まなくて良かったですね。
ツアーの1人が360度カメラで写してましたよ
初めて見せてもらってびっくり
ファラオの絶大な権力ってすごいですよね
しかも、ピースごとに切ってから、また、積み上げたって話、信じられなかったです
どこから見ても、そんな痕跡みられないですよね〜
本当に、本当に大昔ですよ。
神殿はかれこれ3,300年前の建造です。
ラムセス2世は、wikiによると、紀元前1314年から、
紀元前1224年まで生存した、エジプト新王国第19王朝のファラオ。
息子が111人で、娘は69人とか。タフですねえ(^。^)
ミイラは1881年に発見され、現在はカイロの考古学博物館に収められてます。
古代エジプトの平均寿命が35歳から40歳だった時代に、彼のミイラから推定すると
死亡年齢は88歳から92歳。とんでもない絶倫な長寿だったようです(^。^)
う~~ん、羨ましいような、そんなの無理なような(笑)
もしエジプトに行かれるなら、ピラミッドがあるカイロは、はずせませんが、
ルクソールか、アスワンで、どちらか選ぶのだったら、アスワンです。
そしてアブシンベルの半日ツアーをお薦めします。
ルクソールの「王家の谷」も素晴らしかったけれど、アブシンベル神殿を見てしまうと印象も薄れてしまいます。
カイロの大エジプト博物館は、2020年のオープンですが、
もう1,000億円の建築予算を超えてしまい、火の車。
でもその半分以上は日本が拠出したので、完成したら見に行きたいですね。
十戒は、モーセがチャールトン・ヘストン、ラムセスⅡ世がユル・ブリンナーでした。でもよくご存知ですね。
この時代の映画は、映画好きな母親に連れられて、小学校の低学年の頃に観たのですが、
何が何やらさっぱりわからず、大人になってから再び観て、やっとストーリーが分かりました(^。^)
出かけるなら2020年の、大エジプト博物館完成後が良さそうですね(^。^)
この神殿が、5年もかけて、距離にして210m、高さにして60m上方の
丘の上に移築されたというのは驚きます。
しかも石を切って、分割して運んで、それをまた元通りにしたんですからね。
どこをどう見ても、切って、またくっつけたようには見えません。
himeさんが行かれた当時は、護衛も付いたんですか。
クルーズ船のお客様は、VIPだったんでしょうね。
私の車は、信号ごとに停車してましたが、砂漠の1本道では100kmのスピードで、ぶっ飛ばしてました。
ラムセスⅡ世の子供は、正確には息子が111人で、娘は69人だったそうです。
若い時ならいいけれど、きっと晩年はしんどかったんではないでしょうか(^。^)
私だったら無理です、息子に皇位を譲ります。
3300年前に、こんな神殿が造られて、しかも内部にはレリーフがいっぱい。
もう、映画の世界みたいですが、これは現実にあった歴史上の実話。
十戒という映画を観ると、ちょっとだけですが、当時のファラオが、
どれほど権力を持っていたか、その当時を垣間見ることができます。
現在、日本はエジプトの遺産を守るための資金をかなり拠出してるし、
あの早稲田大学の吉村作治名誉教授を始め、何人もの発掘隊が、エジプトを訪れ
発掘作業を行ってきました。
エジプト遺跡は、日本人にとっても、ロマンがあり、身近な存在です。
一度、その発掘現場を訪れて、美味しいお菓子でも差し入れしたのですが、
どこでやってるのか、さっぱりわかりません(^。^)
360度カメラですか。
どんな映像なのか見てみたいです。
私が訪問した日はすいてたし、朝一番だったので、360度、まわりに人がいない場面もありました。
もう撮り放題で、どうしようかという状況でしたが、撮り漏らしがないように、
ゆっくり全部の部屋を廻りました。
あの内部にいると、3300年前に浸ることができますね。
写真下から4枚目の、アラブのおじさんが、突然横に現れた時は、
もうびっくりしましたよ。ワ~~ッと叫びそうでしたが、かろうじて声をおさえました(^。^)
本当に、よくこんな神殿を切って運んで、またくっつけましたね。
ええ、痕跡も無いし、信じられません。
次は、小神殿のほうを掲載予定です。
忙しいなか、コメントを恐れ入ります。
もう、うん十年も働いてきたので、今は全然忙しくなくて、趣味の旅と、写真と、ブログだけが忙しい自分です。
この写真を撮ったのは、3月3日なので、まだ最近のことですが、もう1年前の出来事みたい。
やはり写真を撮って、ブログに残さないと、過去はあっという間に、忘却の彼方ですね。
遺跡見学の人は、出て来てくれるのを待ちかまえて撮ってるんですよ。
こんなに大きな遺跡は、ちっぽけな人間を入れないと、大きさが伝わりません(^。^)
今のところ、病気がおさまってますが、また3・4ヶ月すると、旅に出たいという病が再発しそうです。
でも会社の仕事もあるので、しばらくは我慢、我慢です。
Keitoさんは、明日からの怒涛の日々、すいすいと乗り切って下さいね(^。^)
スケールの大きな旅ですね(*‘ω‘ *) 旅プラスさんって、世界中をお庭のように旅されてうらやましく毎回、驚いています。
どれも1枚の絵画のようです。
アラブのおじいさんの写真も構図が素敵❤
行ったことのない旅の写真を 鮮やかに魅せてくれる旅プラスさん・・・ ありがとうございます(*´ω`)
ほんと、ラムセスII世は並外れているのですね。
あんな大昔にありえない存在…ビックリ‼️
どこもかもが、素晴らしいレリーフで^^
アラブのおじさんが、けっこう絵になってますよ。笑
なんか考古学者に見えてくる^^
年に二日だけ奥まで日の光が入るのですか。
じゃ、これは日の光が届いて明るいのですか?
一眼レフで写真を撮り始めたのは2008年10月から。
ちょうど東京スカイツリーの建設が始まった頃でした。
それから苦節10年。進歩してるんだか、進歩してないんだかわかりませんが、
自分、理系なので、意外と凝り性です(^。^)
旅行には一眼レフのカメラが2台、レンズが2本。これだけで5kgを超えますが、
リュックと、スーツケースに入れて、決して航空会社に預けること無く、運んでるんですよ。
写真の出来・不出来は別として、この努力は敢闘賞ですね。
↑ 相変わらずの自画自賛(^。^)
アラブのおじさんが、左にヌ~ッと現れた時は、びっくりして叫びそうになりましたよ。
ファラオの子孫か、墓守かと(^。^)
でも普通の観光客でした。
エジプトの世界遺産は、あと何回か続きます。
貴重な壁画や石像がダムに沈まず本当に良かったですね
入口から陽の光が奥まで届くとは想像しただけでも
神がかっているような印象を受けますね
沢山の壁画彫るだけでも大変でしたでしょうに…
この中はカメラOKだったのですね
綺麗に撮れていて素晴らしいです
素晴らしい物を家で見る事が出来感激しております
有り難うございました
ラムセスⅡ世の、絶倫ぶりは、お江戸のお殿様たちも、全くかないません。
お殿様もびっくり、ハーレムのアラブ人もびっくり、シャムの王様もびっくり!!
アラブのおじさんは、突然横に現れたので、最初はファラオの子孫かと思いましたよ(^。^)
でも衣装が普段着みたいな普通の格好だったので、先祖代々この神殿の門番かなと(^。^)
でも様子からして、ただの観光客でした。きっとエジプト人でしょうね。
年に2回、そのエジプト人も観てた、神殿奥の4体の像のうち3体を明るく照らすそうですが、
アスワンハイダムが出来る前は、それが2月22日と、10月22日で、
移築後は日にちがずれてしまったそうです。
こういう日の光の計算は、インカの人たちも、古代ギリシャの人たちも凄いです。
エジプトにはロマンと、ミステリーがあります。
どこを見ても感動ものですね。
歴史の証とアートの中に放り込まれたら、悩殺されそう。
管理も大変なのでしょうね。
以前、ポンペイの遺跡に行った時、野ざらしになっていて、呆れたのですが。
ここは室内だから、管理もしやすいでしょうが。
しかし、怖くはなかったですか?
見ていて、興奮だけでもぞくぞくします。
「アブシンベル神殿のレリーフ」というタイトルで、1日に1枚の写真で、365日続けられますよ。
読者が厭きなければという前提条件がつきますが(^。^)
ラムセスⅡ世は、戦に強く、優れた戦士でもあって、彼の時代に、今のリビアや、パレスチナも征服したそうです。
生きていた時も、死んでからも只者ではなかったといえるファラオですね。
こんな素晴らしい遺産が、ダム建設のために水没しそうになってたのだから、
「えらいこっちゃ」ですよ。
その当時のユネスコは、よく頑張りました。
ヌビア遺跡保存国際キャンペーンを主導し、50ヶ国から4,000万ドルの基金が集まって、
アブシンベル神殿が移築されました。日本も28万ドルを拠出したそうですよ。
この保護・保存活動がきっかけとなり、価値がある文化遺産を保護する世界遺産条約に繋がりました。
カメラはOKで、特に撮影料金も無かったです。
ルクソールは、入場料以外に、カメラ料金というのが別料金でありましたが、
ルクソールの「王家の谷」だけはせこかったです(^。^)
アブシンベル神殿は、町があるアスワンから車で3時間もかかりますが、
行ってびっくり、見てびっくり、もう神殿内部では、レリーフに囲まれて、悩殺されまくりです。
たまたま観光客が少なかったので、3300年前に、タイムスリップしたような気分でした。
怖くはなかったのですが、突然アラブ人のおじさんが、隣にヌ~~ッと現れた時は驚きました。
ギャ~~と叫びそうになりましたが、観光客とわかり、やっと冷静な自分に戻りました(^。^)
ポンペイは、町の遺跡なので、野ざらし部分が殆どですね。
私がポンペイの遺跡を訪ねたのは1971年だったので、日本人観光客も殆どいない時代で、まだ復元途中でした。
今では当時の町もかなり復元され、通りは歩きやすくなったそうですよ。
出土した美術品や、財宝はナポリの国立考古学博物館に収蔵され、展示されてますが、
ここは私もまだ行ったことがありません。
しかし、実際の場所も、もう少しプロテクトすればイイのになと思いました。
南イタリア、割といい加減です。
イタリアって、南と北とじゃ別の国ですネ。
実際のポンペイの遺跡は、まだ整備が不十分でしたか。
最近、見てないのですが、恐らく南イタリア・タイムで、整備も進められてるんでしょうね。
EUではない、エジプトでさえ、アブシンベルや、ルクソールは、観光客向けにきちんと整備されました。
なのに、先進7ヵ国首脳会議(G7)にも参加してるイタリアがこれでは格好がつかないですね。
やはり最近の財政難が影響してるのかもしれません。
イタリアが、南と北は別の国という説に、両手を挙げて賛成です(^。^)